競輪の思い出
前回のエントリで白川道の『捲り眩られ降り振られ』を読んだ話を書いたが、ちょっと競輪の思い出について書いてみたい。
わたしは競馬・競輪・競艇と公営ギャンブルにひととおり手を染めた(オートだけは近くに開催場がないのでやったことがない)。最もよく通ったのが競馬。なにしろすぐ近くに競馬場があり、開催は土日なのでサラリーマンには手を出しやすかった。一番好きなのは競艇で、大きなレースの優勝戦は日曜日か祝日なのでよく琵琶湖まで行ったものだ。平日に決勝が行われることが多かった競輪に触れる機会は少なく、生で観たのは(いつの回かは忘れたが)山田裕仁が勝った西宮の記念だけ。わずか1回きりだが、大きなレースは必ずTVでチェックしていた。
予想をするのは競輪が一番面白かった。競馬はしょせん畜生が走るものであてにはならないし、競艇はスタートしだいで展開が大きく変わるので“あてもの”の域をでない。競輪はとっても人間臭い競技で、ラインと展開を予想する楽しみが感じられた。
わたしが熱心に観ていたのは吉岡稔真や神山雄一郎が全盛のころ。いつの回だったかは忘れたが、吉岡の勝ったびわこの宮杯は予想にかなり自信があったのだが、仕事のため現地入りを断念し(よっぽど仕事をさぼろうかとおもったけど)、結局わたしの予想が当って悔しい思いをしたこともあった。
自分で商売を始めてから忙しくなり、TVでさえも観る機会が少なくなってしまったが、大きなレースだけは欠かさずチェックしていた。松本整が40歳を超えて特別(今はG1っていうのかな?)を連覇したときなんて感動したものだ(話はそれるが、昔住んでた近くに松本整の経営するジムがあった)。
余談だが、わたし山田裕仁の自宅に伺ったことがある。山田裕仁の家は、当時わたしが仕事で行っていた大垣の得意先の顧客で、担当者に同行して行った。山田裕仁本人には会えなかったが(おそらくいなかったと思う)奥さんは綺麗なひとだった記憶がある。大きく立派な家で、庭にはトレーニング用と思われる小屋があった。無冠の帝王と呼ばれていた彼がグランプリを勝ち、翌年(だったかな?)初の特別のタイトルを手にしたあとくらいの時期のこと。他の選手が止まってみえるほどの強烈な捲りを放っていた山田裕仁は、同い年でもあり好きな選手だ。唯一生で観たレースの勝者でもあり、まだまだがんばってほしいところ。
わたしが競輪から完全に離れてしまったのは松本整が引退してからだ。門司・甲子園・西宮が廃止となり、ルールの問題での(それだけではないかもしれないが)松本整の引退。なんだか競輪がつまらないものに感じられてきたのだ。人気漫画『ギャンブルレーサー』の連載が終り、あの吉岡稔真が引退した。わたしのなかでは競輪は遠い存在になりつつある。
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